短歌を愛でる

短歌評をかきます。

このブログについて

 私が短歌について興味を持ったのは、高校生のときに知り合ったひとりの友達が、短歌で賞をもらったことがきっかけでした。正確には、彼女と親しくなったのは、彼女が賞をもらう前のことですが。それはともかく、短歌というものがその時から、すこし身近に感じられるようになったことに、疑いを容れる余地はありません。

 大学生になり、彼女が京大短歌会に入会したと聞き(もっとも、高校生の時点で、進学したらそこに入ることは耳にしていたのですが)、そこが毎年発行している会員誌を買って読んでみることにしました。こんなにも多くの短歌が収録された本を読んだことはありませんでした。私はなぜかそこで悔しさのようなものを感じて、おのおのの歌が作りあげた世界について私が感じたことを言葉で記してみたくなりました。その場として用意されたのがこのブログというわけです。

 

 言葉で何かを表すという営みは、つねに不完全です。「語りつくす」ということはできません。しかし、語ることのできるわずかなことのなかにも、何か輝くものがあるように私には思えます。すべて語ることができないからといって語ることそのものをやめてしまうのは、あまりにももったいないでしょう。

 また、このブログに書かれる文章は、というよりもすべての文章は、始まりと終わりがあります。有限であるということです。それゆえ、私の考えたことのすべてがここに記されることはありません。たとえば、私がある短歌についての評を書くとき、その評は有限個の文字で書かれますが、「それで終わり」ではないのです。その短歌について、この評をもって語りつくすことができたとは微塵も思いません。私が文章を終わらせるとき、そこにはつねに未練が残ります。この未練を完全に消すことは私にはできません。

 上に書いたようなどうしようもなさを抱えながら、私はこのブログで文章を書いていくことになるでしょう。「短歌の作りだす世界について感じたことを言葉で表したい」という正体不明の欲望をかなえるために。もし、私が欲望のままに書く文章が、あなたの心に何らかの変化を与えることができたなら、それ以上に嬉しいことはありません。